昨年末イタリアで出版した美術史研究書について
團 名保紀
2019年12月、ピサのパチーニ出版社から、全270ページ、図版165枚、9章からなる研究書 “Da Nicola Pisano a Tino di Camaino,momenti significativi della scultura gotica italiana”(「ニコーラ・ピサーノからティーノ・ディ・カマイーノまで。イタリア・ゴティック彫刻への新たな展望」)を刊行した。1995年から2015年までに発表した日本語論文のうち計9点をイタリア語訳し、部分的に加筆したものである。なお、そのうち8論文の初出は当学会の年報「芸術文化」に於けるものであった。
私は1977年フィレンツェ大学卒業後、卒論テーマであった中世後期シエナ生まれの彫刻家ティーノ・ディ・カマイーノに関する一連の論文を1985年までイタリア語で発表、1981年と1983年にはフィレンツェで単著も刊行した。ティーノへの関心は当時一般に高いものではなかったが、今日、彼のとりわけモニュメンタルな墓碑芸術に注目度が上り、研究者達による論文数も増えている。その代表作、ピサ大聖堂内の「皇帝ハインリッヒ七世の墓」の再構築案提起、並びにそのルネッサンスへの多様な影響を40年来研究テーマとしている私(群馬大学教育学部紀要では、1992年から22年間連続発表)として、喜ばしい限りである。それ故、この度私の比較的最近のティーノ関連論文のイタリア語訳として、まずピサの帝墓が見事な装飾モティーフを伴う凱旋門的アーチを展開したのを証す建築部位の発見を報告する論文を採り上げた。だがティーノは「墓作りの名手」であったのみならず、その他のジャンルのモニュメントも制作したことを強調する意味からも、フィレンツェ洗礼堂内にかつて存在しながら、今では忘却されてしまった重要作品、12使徒及び4福音書記者像が聖バルトロメオ像を囲んでいた彫像群に関し、私が発見した一連の半身像を取り込んでの再構築図を提唱し、それはオルサンミケーレ教会のオルカンニャ作タベルナコロを経て、ブルネッレスキの傘型クーポラやミケランジェロのモーゼ像、ブルータス像に至るまで影響したと論じた。
他方この度の新刊書にはティーノ研究と並行し、私が1990年代から具体的に重要作品の発見をきっかけとして取り組んだニコーラ及びジョヴァンニ・ピサーノ父子、それにルーポ・ディ・フランチェスコ等、中世後期トスカーナの重要彫刻家に関する新研究も登場する。ティーノの場合と同じく彼らの芸術の背後にはフィオーレのヨアキムやフリードリッヒ二世、アッシジのフランチェスコやダンテという巨大で力強い純なる精神支柱が存在し、また造形インスピレーション源として古代ローマのモニュメント世界、そして中世的なものとしては天上のエルサレムと地上の新しきローマ、聖俗の概念の癒合を見事象徴した現ウイーン在の所謂「シャルマーニュの帝冠」(Corona di Carlo Magno)に遡る一連の神聖ローマ帝冠がしばしば有効に機能したとも論じた。南伊、フリードリッヒ二世帝時代のニコーラ・ピサーノがその開祖たる、そしてその後も優れた中世後期イタリアの人間性追求の作品群を考察した本書全9章をたどることで、やがてブルネッレスキやギベルティ、ドナテッロ、さらにミケランジェロに代表される本格ルネッサンス芸術が何故かくも目覚ましい豊かな成果を達成したのか理解が深まり、イタリア中世・ルネッサンス美術への新たな鮮明な展望が開かれることを願わざるを得ない。
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